2012年9月24日月曜日

ルネ・ラルー 「となりのハヤオ」


-となりのハヤオ-  文 / ルネ・ラルー

日本には「出るくいは打たれる」ということわざがある。
これはつらい、じつにつらい、アーティストにとって、そして宮崎駿のような映像作家にとっては!
だって彼の頭はどうみてもとび抜けているのだから。日本人が画一性を好む(また遺憾なことに
制服も大好きだ……)のは一つの狂気だが、もう一つの狂気がそれと釣り合っているのだ
(というかそれは画一性へのまさに反動なのでは?)。彼は夢ばかり見ているのだ。宮崎は人の
自由を奪い、分をわきまえるように強いる日本の現実を確かに尊重するのだが、それだけに、
想像という油断のならない無秩序な迷妄状態に強く惹かれるのである。
 私たち西洋世界のようにデカルト精神の恩恵に俗するという特権に恵まれていない日本人は、
大好きなアーティストに拍手喝采を送る一方で、出るくいは叩きつけるのだ。
 地球の向こう側のかの国では大の大人が長篇アニメを見に映画館に足を運ぶが、子供を
連れていったりして口実を作る必要などない。子供も負けじと同じ映画館に駆けつけ、宮崎の
冒険アニメを無邪気で貪欲な食欲でむさぼるように見つめる。
 批評家たち-コミュニケーションを握っているというだけで大きな子供であることは変わりない-
ですら、1989年に宮崎駿の映画『となりのトトロ』に、同時期に撮られた全ての実写映画を措いて
同年の長篇映画賞〔88年第3回毎日映画コンクール賞、第62回キネマ旬報ベスト1〕を贈って敬意
を表した。
 宮崎監督は頭を叩かれながらも生き残ってきたわけだが、しかしどうやってここまでになったの
か。
 彼は1963年テレビのシリーズものの制作会社〔東映動画〕に入るわけだが、当時日本のアニメ
の職人たちは、アメリカのカートゥーンと違う、それに対抗できるようなスタイルを模索して、体系的
な規格化に向い、疲れを知らぬ不滅のスーパーヒーロー、スーパーロボットの馬鹿馬鹿しいような
戦闘ものを制作していた。そこではアニメーションの芸術(途方もないもの、怪物や妖精の世界、
「すべてが可能ですべてが日常と異なる」世界)とはむしろ相容れない、リアルで画一的(またして
も!)なグラフィズムが目指されていた。その中にあって宮崎は、一枚描くごとに絵の技法を身に
つけ、作を追うごとに、アニメーター、シナリオ作家、作画監督、演出家と登りつめ、20年ほどの
修行を経て、ついに完璧な作家とみなされるに至ったのだ。
 すると当然、もともと無垢と自由のあふれる平和な世界を好んだ彼は、ノイズと怒りの渦巻く
物語から次第に遠ざかることになる。
暴力も人を攻撃はせず、狩りで生きる者も肉は食わず、拷問する者も殺しまではしないし、
恐ろしいものもおぞましくはなく、朝が悲しかったからといって一日がさんざんだとは限らない。
そしてようやく彼は最もお気に入りの場所を私たちに見せてくれる。
光あふれる風景、はすっぱな少女たち、しゃべる猫、奇妙な生き物の数々、流れる水、植物を
受け入れ、成長を促す大地、そしてなによりも雲なす鳥の遊ぶ風(このなんとも映画的な要素)。
トンボのスクーターに乗った海賊たちに始まり、豚の飛行士と水上飛行機、箒に乗った少女、
空飛ぶ島、あるいはもっと単純に天と地の間に宙吊りになり、めまいのするような落下に興じ、
地面に落ちるぎりぎりの瞬間にブレーキのかかる子供たちに至るまで、宮崎作品に登場する
人物は機械はずっと、この風に遊ぶ鳥たちを真似ようとしてきたのだ。
 しかし宮崎が異論の余地なく認められるまでに至ったのは、恐らく『となりのトトロ』(ようやく
ここまできた!)でだ。これは彼の中でも最も透明で、最も飾り気のない作品である。
 療養所にいる快復期の妻の近くに住むために、二人の娘とともに田舎に引っ越してきた
一人の男をきっかけに配し、宮崎は、日常生活のこまごました出来事に幻想を混ぜ合わせ、
個人的な思いを詰め込んだ物語を通して、優しく、温厚で、「ほら吹きの」キャラクター
(日常的な今回の作品で異形のものはこれだけだ)トトロたちと子供らの友情を語る。
 生きる喜びに満ち溢れたこの自然賛歌から、特にまれに見る叙情を湛えた場面を取り上げよう。
その場面では、娘たちと3匹のトトロ(大きいのと小さいの2匹)が呪文を唱えると、その力で
植えたばかりの木がたちまち生え、天を突かんばかりにどこまでも伸び拡がってゆくのだ。
 すべての偉大なアーティストがそうであるように、毎朝目覚めた宮崎が不機嫌そうに先ず
出した左足で地面を踏むのは自分の小さな領土に過ぎないのだが、次に歓喜と共に踏み出す
右足は惑星全体を踏んまえているのである。
 そしてこの惑星とは、宮崎にとって、子供の惑星である。
 しかし宮崎自身は本当に宮崎なのか?むしろあの大きなトトロ、あの夢の分身なのでは
ないだろうか。私たちは、映画のちっちゃなメイのように、彼のおなかを叩いてみたい気がする。
すると彼は、おかしなうめき声を上げながら、歯をむき出しにしてみせるのではないだろうか?

                                         1995年6月
(ルネ・ラルー)
1929年7月13日パリ生まれ。映像作家。映画監督。




2012年9月20日木曜日

宮崎駿さん おすすめ児童文学 50冊


「星の王子さま」 サン=テグジュペリ / 作
「チポリーノの冒険」 ジャンニ・ロダーニ / 作
「バラとゆびわ」 サッカレイ / 作
「ムギと王さま」 E.ファージョン / 作
「三銃士」 アレクサンドル・デュマ / 作
「秘密の花園」 バーネット / 作
「ニーベルンゲンの宝」 G.シャルク / 編
「不思議の国のアリス」 ルイス・キャロル / 作
「シャーロック・ホウムズの冒険」 コナン・ドイル / 作
「小さい牛追い」 マリー・ハムズン / 作
「せむしの小馬」 エルショーフ / 作
「ファーブル昆虫記」 ファーブル / 作
「日本霊異記」 水上 勉 / 作
「イワンのばか」 レフ・トルストイ / 作
「第九軍団のワシ」 ローズマリ・サトクリフ / 作
「くまのプーさん」 A.A.ミルン / 作
「風の王子たち」 ボードウイ / 作
「思い出のマーニー」 シェーン・ロビンソン / 作
「長い冬」 ローラ・インガルス・ワイルダー / 作
「たのしい川べ」 ケネス・グレーアム / 作
「飛ぶ船」 ヒルダ・ルイス / 作
「フランバース屋敷の人びと1」 K.M. ペイトン / 作
「真夜中のパーティ」 フィリッパ・ピアス / 作
「トム・ソーヤーの冒険」 マーク・トウェイン / 作
「注文の多い料理店 イーハトーヴ童話集」 宮沢賢治 / 作
「ハイジ」 ヨハンナ・シュピリ / 作
「海底二万里」 ジュール・ヴェルヌ / 作
「床下の小人たち」 メアリー・ノートン / 作
「長い長いお医者さんの話」 K.チャベック / 作
「ツバメ号とアマゾン号」 アーサー・ランサム / 作
「飛ぶ教室」 エーリヒ・ケストナー / 作
「ロビンソン・クルーソー」 デフォー / 作
「宝島」 スティーヴンソン / 作
「森は生きている」 サムイル・マルシャーク / 作
「みどりのゆび」 モーリス・ドリュオン / 作
「ネギをうえた人」 金素雲 / 作
「聊斎志異」 蒲松齢 / 作
「ドリトル先生航海記」 ヒュー・ロフティング / 作
「西遊記」 呉承恩 / 作
「小公子」 バーネット / 作
「クローディアの秘密」 E.L.カニグズバーグ / 作
「やかまし村の子どもたち」 アストリッド・リンドグレーン / 作
「ホビットの冒険」 J.R.R. トールキン / 作
「影との戦い(ゲド戦記1)」 アーシュラ・K. ル=グウィン / 作
「まぼろしの白馬」 エリザベス・グージ / 作
「ぼくらはわんぱく5人組」 カレル・ポラーチェク / 作
「ジェーン・アダムスの生涯」 ジャッドソン / 作
「キュリー夫人」 エリナー・ドーリイ / 作
「オタバリの少年探偵たち」 セシル・デイ=ルイス / 作
「銀のスケート-ハンス・ブリンカーの物語」 メアリー・メイプス・ドッジ / 作


-ここにいう児童文学とは児童のために書かれた文学作品を意味するが、それはもとより文学の
一分野であって、文学の本筋からはなれた別のものではない。
しかし、児童のための文学は、そうした文学性をそなえつつ、児童に楽しみをあたえようという
意図をもって書かれたものでなければならない。
イギリスの児童文学の大家、アーサー・ランサムがいうように、<児童文学の傑作とは、読む
あいだに楽しめるばかりでなく、生涯を通じて生きつづける経験ともいうべき、あるものをあたえる
作品>であり、深い意味の教育性をそなえていなければならない。そして楽しみと教化という児童
文学の2要素から、図式的に児童文学における訓育主義と芸術主義という二つの起伏がくりかえ
されてきた。 しかしほんとうの傑作はつねに想像力のゆたかな芸術作品であって、ランサムのいう
結果的な教育性を表面には出さないものであった。
 児童書の歴史は、児童に対する社会の態度、つまり児童観の歴史ともみられる。児童は長い
あいだ、両親や教師にしつけられる小形のおとなであり、本はただあたえられたしつけの本にすぎ
なかった。しかし児童はいつの時代でも、児童が持っている新鮮な好奇心によって、おとなたちの
本だなからこっそりと、みずから本を選びとって子どもの本だなにうつしてきた。そして、単純な
絵物語、こっけいな小説、民謡・民話、神話・伝説、寓話、創作童話、物語、小説、事実の本、知識
の本と、しだいに児童文学の領域をみたしていった。-世界大百科事典「児童文学」